かつての学舎と街を巡る

廃校と街を探索するブログです。

魚津市立天神小学校

・沿革(魚津市史より)

明治6年(1873年)   天神野新・東尾崎・木下新・東山・青柳・小川寺・蛇田の七村連合によって三省小学校が創立(天神野新村の関口三郎兵衛の家屋の一部)

明治11年(1878年)  3月に小川寺・蛇田の二村が分離し、小川寺には生々小学校、蛇田には耕文小学校が開校
                                       また9月には東山と青柳が分離・連合して成器小学校が設立

明治20年(1887年)  4月より天神野新簡易小学校となる

明治23年(1890年)  三省・成器の各小学校と合併して天神簡易小学校となる(天神野新・東山・東尾崎・青柳・木下新)

明治25年(1892年)  天神尋常小学校と改称する

昭和16年(1941年)  天神国民学校と改称

昭和22年(1947年)  天神村立天神小学校と改称

昭和27年(1952年)  魚津市立天神小学校と改称(明治23年時の5地区+立石地区)

昭和45年(1970年)  加積小学校と統合し吉島小学校になるため閉校

 

・所在地

魚津市天神野新220


・現在

魚津市天神公民館

 

・実際に現地に行った感想

以前からグーグルマップで目は付けていた廃校。その際に柱も見ており、絶対これは校門跡だと思っていたが、実際に行ってみても確証を持てるものは見つからなかった。なんだか悔しい…
そしてそれ以外の二宮金次郎のような廃校あるあるのものも見つからなかった。今昔マップにはここに学校の地図記号があったので、ここが跡地というのは確実と思っているのだが…。
また新たな資料がないか、魚津市の図書館にでも行ってみよう。以前ほかの学校のことを調べるために行ったが時間が限られていて、ここのことを調べられなかったし…。

天神小学校跡に建つ天神公民館。なお横に建つ体育館は天神小学校のころのものなのかは不明。

公民館入り口にある柱。勝手に校門跡だと思っているのだけど、実際どうなんだろう…。



※撮影日 2022/12/27

 

※現在制服に関するアンケートを募集しています。
特に、この廃校ブログで取り上げているような、昭和、それもまだ白黒写真のころの学校のデータを重点的に集めておりますので
何か手掛かりを知っているかたがおられればぜひお答えいただけるとありがたいです。

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