かつての学舎と街を巡る

廃校と街を探索するブログです。

朝日町立境小学校

・沿革(宮崎村の歴史と生活ー舟と石垣の村ー、境小学校の石碑より)

明治6年(1873年)          宮崎、境、大平の3村連合で曠達小学校が創立

明治10年 (1877年)    曠達小学校から遠かったことから、宮崎地区にて共研小学校

          として独立する

明治20年(1887年)        境村立境小学校と改称する

昭和16年(1941年)        境村立境国民学校と改称する

昭和22年(1947年)        境村立境小学校と改称する

昭和29年(1954年)        朝日町立境小学校と改称する

平成6年(1994年)          朝日町立さみさと小学校に統合されるため閉校

 

・所在地

朝日町境1561


・現在

境関跡


・実際に現地に行った感想

宮崎小学校を調べていた際に出てきた、曠達小学校が後の境小学校だったことが、ここにあった石碑にて判明。

宮崎小学校から境小学校の距離は3km。

今でこそ学校の統廃合で家から3kmなんて当たり前になりつつあるけれど

車や電車、スクールバスなどがあるのでなんとかなる。

でも昔は歩くしかない…と思うと、独立したいという声が上がるのは当たり前だなと思った。

そしてこうして石碑から新たな情報を得ることができる…これだから石碑チェックはやめられないんだな。

 

境の関跡。それにしても変わったところに学校を設置したな…。と思ったけれど、
調べてみたら関所は明治2年までで役目を終えていた模様。
学校は明治6年創立なので、関所の跡地を学校の敷地に充て、
廃校となった後はまた関所跡として整備したようだ。

沿革の記載された石碑。

今までいろいろな沿革碑を見てきたが、「一、」という書き始めのものは初めて見た気がする。

※撮影日 2023/3/25