かつての学舎と街を巡る

廃校と街を探索するブログです。

富山市立西番小学校

・沿革(太田郷土史より引用)

 

明治6年(1873年)     西番小学校が開校(現在地よりやや正源寺寄り)

明治7年(1874年)     新川県第六大学区第十番中学区西番小学校と改称

明治35年(1902年)    中村地区が太田小学校へ校区変更

                                (大場地区もこのころ太田小学校へ変更?)                                

大正7年(1918年)     現在地へ移転

昭和36年(1961年)   太田小学校に統合のため閉校

 

・所在地

富山市西番


・現在

西番公民館(~2022.5)

防災施設(2024年設置予定)


・実際に現地に行った感想

本当はまだ見に行く予定にはなかったのだが、

夜にぼーっと北日本新聞のウェブ版を眺めていたところ、校舎を解体するとの記事を見つけてしまった。

 

…これは即行くしかない。

そう思い、次の日、仕事が終わり次第すぐ向かった。

 

以前のブログでも記載した通り、下見がてら公民館前は通っていた。

なんなら工事用の囲いがあるのは知っていた。

今後も残していくために補強工事でも行うのかと楽観的に考えていたら

なんと解体。なんてこった…。

まあ老朽化のためならば仕方がない…。でもすごく寂しい…。

 

このように老朽化のため解体される校舎はこれからどんどん増えていくだろう。

またそうでなくても、新しい建物を建てるために解体されるものもきっとある。

 

それらが解体されてしまう前に、かつてこの地に学校が、校舎があったことをどんどん記録し、このブログに残していきたい。

 

全体図。

現在は西番公民館と書かれているが、おそらく大正時代には西番小学校とかかれていたのだろう。

小学校時代だけでなく、公民館となってからも子供たちから愛されていたであろう滑り台。

今ではほとんど見られなくなった、木造の校舎。

 

北日本新聞によると、教室や職員室は集会所へと改装されたものの、外観や廊下、校門はそのままの姿だそうだ。

なお、先述の太田郷土史によると

廃校の際に、下記のことを富山市に求めたそう。

・冬の期間に交通が途絶えた場合は、公民館で授業を行う

・校舎を西番公民館として利用する

・児童はバス通学都市、経費の助成をする

・バスの運行本数を増やすよう、富山地鉄へ働きかける

・廃校後はこの地区は太田小学校校区とする

果たして全てのことが実行されたのだろうか…??


news.yahoo.co.jp

※撮影日 2022/5/2